福岡高等裁判所宮崎支部 昭和40年(う)41号 判決 1966年3月15日
主文
原判決中被告人に関する部分を破棄する。
被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審(証人丸畑義正、同中間幸男、同森谷重雄に支給した分を除く。)及び当審の訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
記録並びに証拠によると、本件自動車は、堪田芳弘所有にかかるマツダ六〇年型第二種自動三輪車で、堪田と被告人との売買契約に基き、堪田が整備して車体検査に合格させたうえ、被告人に引渡すことになつており、そのため堪田が昭和三七年一月一〇日頃森谷自動車整備工場に整備を依頼していたものであつて、被告人は同月一七日午後一〇時頃、右工場に赴き、三級整備士の肝付勉が整備を終り試運転をも済せた本件自動車を受取り、直ちに同工場から三キロメートル余離れた自宅まで運転して帰り、車庫に格納したうえ、翌一八日午前四時三〇分頃右自動車を運転して自宅を出発し、途中肝付勉を誘うため、右整備工場に立ち寄つた後、コンクリートで舗装された国道三号線を鹿児島市に向つて毎時約三五キロメートルの速度で西進し、同日午前五時一〇分頃出水郡高尾野町下水流二、一六二番地川添貞二方前附近にさしかかつたが、同所で左後車輪取付ドラムのクリツプナツト六個全部がボルトから外れて左後車輪が車体から離脱し、その際左後車輪の直ぐ後方にあつたガソリン給油管が壊れてガソリンタンクのガソリンが地上に洩れ出る一方、自動車が左後車輪のドラムで路面を摩擦しながら約一二メートル進行したため、流出したガソリンが燃え出し、その火が附近にあつた中牟礼新吉の住居と物置各一棟、及び宮原盛の住居と工場各一棟に燃え移つてこれを焼燬したことが認められる。
所論は、被告人には、自宅を出発する前に仕業点検をし、更に自動車の運転中は車体に故障がないかどうか絶えず注意し、いやしくも車輪脱落等の事故の発生しないよう万全の措置を構じ、もつて火災を発生させないようにする業務上の注意義務のあること明らかで、これを認めなかつた原判決には事実誤認及び法令適用の誤がある、というのである。
よつて検討するに、刑法一一七条ノ二の「業務」とは、単に当該火災の原因となつた火気を直接取扱うことを業務の内容の全部又は一部としている場合、又は火災の発見防止等を業務の内容としている場合に限られるべきではなく、引火性の極めて高い危険物を取扱うことを業務の内容としている場合をも含むと解すべきところ、自動車の運転には当然に引火性の極めて高いガソリンの保管使用を伴うから、自動車の運転を反覆継続して行うときはこれを同法条にいう「業務」と解するのが相当である。本件において被告人が自動車の運転業務に従事していたこと後記のとおりであるから、被告人の本件自動車の運転が刑法一一七条ノ二の「業務」に該当すること明らかであつて、これと異つた原判決の法令の解釈適用の誤つていること所論のとおりであり、この点の論旨は理由がある。
そこで更に、被告人の過失について検討する。本件火災につき、被告人には仕業点検をしなかつた過失がある、というためには被告人が仕業点検をしていたならば左後車輪取付ドラムのクリツプナツトの緩んでいることを発見し、そのことから少くとも自動車のガソリンの発火を予見できたことが認められなければならない。しかし本件事故が被告人方を出発後約一〇キロメートル余進行してから発生しているうえ、森谷整備工場では大川内正司が丸畑義正の取付けた左後車輪のクリツプナツトに黄色のエナメルを塗つたのであるが、若しクリツプナツトが簡単に発見できる程緩んでおれば、当然同人がそれに気付いている筈であるのに、気付いてないことが認められるから、被告人が自宅を出発する当時既に点検ハンマーを使用しなくても判る程にクリツプナツトが緩んでいたかどうかは疑わしく、当審受命裁判官の証人佐藤秀義に対する尋問調書中この点に関する部分はそのまま信用することができない。しかも本件自動車は、車体検査を受けるため、事故前日に自動車整備工場で車体の整備を終り、三級整備士の肝付勉が試運転をしたうえ午後一〇時頃被告人に引渡されたばかりのもので、被告人が工場から持つて帰るとき自宅までの三キロメートル余を運転した以外には使用されていないこと前叙のとおりであつて、その間運転した被告人も肝付勉も共に車輪に異常を感じたことが認められないから、被告人に仕業点検義務があつたこと所論のとおりであるとしても、かかる場合の仕業点検のときでも、なおクリツプナツトが締つているかどうかハンマーで叩いてまで点検すべき注意義務があるとはいえない。それ故被告人が仕業点検義務を尽していたならば左後車輪取付ドラムのクリツプナツトが緩んでいることを発見できたことが明らかでないから、被告人が仕業点検をしなかつたのを過失ということはできず、被告人の過失を認めなかつた原判決は結局正当であり、この点の論旨は理由がない。
しかし自動車運転者には、単に故障に気付いたとき、故障を修理して事故の発生を防止する注意義務があるのみならず、自動車運転中は自動車に故障がないかどうかに絶えず注意し、故障を少しでも早く発見して事故の発生を未然に防止すべき注意義務もあるのであつて、前者の注意義務のみを認め、後者の注意義務を認めなかつた原判決が事実の誤認をしていること所論のとおりである。そして実況見分調書(昭和三七年一月八日付)原審証人増田人志の証言、堤田芳弘の検察官に対する供述調書によると、本件自動車の左後車輪のクリツプナツトはボルトから全部同時に外れたのではなくして、一部づつ徐々に外れたと推測できるところ、被告人は三年以上の運転経験を持つているうえ、自動車は整備を終つたばかりのマツダ六〇年型第二種自動三輪車で、事故発生までに少くとも約六キロメートルは、毎時約三五キロメートルの速度でコンクリート舗装道路を進行しており、かかる諸事情に原審証人天達守、同佐藤秀義、同梅田利彦の各証言を総合すると、被告人が本件自動車を運転しながら故障の有無に絶えず注意をしていたならば、少くとも火災事故発生の直前までには左後車輪が離脱するかもしれないような異常に気付き、停車して故障を修理することができ、のみならず、本件自動車は、ガソリンタンクが後車輪近くに取付けられ、タンクのガソリン注入口がタンクの底と殆んど同じ高さにあつて、L字形給油管とゴムホースで接続され、その給油管は車体左外側斜後方に延び、左後車輪の少し後方のところでL字形に屈折して上に向つているため、若し自動車の進行中に左後車輪が車体から離脱するようなことがあれば、場合によつては給油管の壊れる可能性があり、その場合被告人が出発前に補充したガソリン約四〇リツトルが流れ出し、それが燃えて自動車を焼燬する危険のあることも予知できたことが認められる。そうだとすれば本件火災につき、被告人には自動車の運転中絶えず車の故障の有無に注意していなかつた過失のあること所論のとおりであり、これを認めなかつた原判決の事実の認定は誤つているといわなければならない。この点の論旨は理由がある。(以下省略)(木下春雄 塩見秀則 中野辰次)